大河津分水路

新潟県長岡市にある大河津分水路を見学してきました。
今は、令和の大改修の真っ最中でした。

私、越後平野に位置する新潟は、その昔から当たり前のように米が収穫出来ていると思っておりましたが、
大間違いでした。
穀倉地帯にシフト出来た大きな要因は、大河津分水路にありました。

江戸時代以前の越後平野は、信濃川が氾濫し、洪水被害が多発する劣悪な土地だったそうです。
水はけは悪いので疫病も発生していたとのこと。

地元の代表者が、信濃川の水を直接日本海に流して欲しい(分水路を作る)と要望した先が、なんと江戸幕府。
約150年間要望を続け、着工されたのが明治3年(1870)だったそうです。

そして現在の改修前の形に完成したのが、昭和2年(1927)だそうです。
60年弱の年月をかけ、水路を掘り、山を削り、堤防を作ったようです。
今みたいな機械がないのに、すごい事だと痛感しました。
そして、来年通水100年を迎えるそうです。

通水により、洪水の規模は小さくなり、発生頻度も3年に1回から、9年に1回と減ったそうです。

通水前の水田は水が深く、「とりまたぎ米(鳥もまたいで食べない)」と揶揄される、
品質の悪い米しか収穫できなかったそうです。
それが、通水のお蔭で今の大穀倉地帯になったそうです。

これらの話は、改修事業の説明館「にとこみえ~る」でお聞きしました。
地域の方に愛されている大河津分水路、そして歓迎されている大改修であることがわかりました。

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